−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
しまくとぅばプロジェクトシンポジウム
「しまくとぅばとアイデンティティ」
のご報告
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
かめおかさんからお知らせのあったこのイベントに
行ってきました。
かなり心が揺さぶられました。
自分が生まれ育った島をあらためて見つめ直しているところです。
かめおかさんありがとう。
第1部の「しまくとぅばで語る戦世」の上映は
非常に興味がわくものでした。
というのは、標準語が上手くなく、
方言と英語が伝達手段の義理の父が語る戦争体験は、
方言が十分に理解できない私でも、
その生き生きとした表情から、
その当時の父の感情がもろに伝わってくるのですが、
私が理解できない時に複雑そうな表情で話す
標準語での話は何となく物足りなさを感じていました。
父の複雑そうな表情の意味がわかった気がしました。
あの時を表現するにはあの時の言葉じゃないと伝えられない。
私たちの世代の多くが受け取れなくなっていることが
悲しかった。
沖縄の方言といっても地域によって違っていて、
ほとんど聞き取れないのものありましたが、
いつの間にか「わからなくても一言聞き漏らすまい」と
表情、身振り、口元に釘付けになっていました。
上映後、何人もの年配の方が目を真っ赤にして、
中にはハンカチで顔を覆ったまま立ち上がれない方もいました。
同じ島に生きるものとしてうらやましい気がしました。
義理の父の話も映像で残してもらいたい。
そう強く思いました。
また、戦争体験についてつらすぎると全く話さない私の父にも、
是非語って残して欲しいとも思いました。
第2部のパネルディスカッションは
宮古島、八重山、本島北部、東京の4名の方がパネリストとなり、
当地の言葉で話すものでした。
私は、宮古島&八重山の方言は全くわからないはずなのですが、
これだけは伝えたいと力説する話については、表情の力というか
自然と内容が伝わり、自分でも驚きました。
私が今ここに存在して、今の暮らしをしていることに
感謝すると共に、ここまで導いてくれたこの島の歴史を
振り返ってみようという気持ちが頭をめぐって仕方ありませんでした。
この島の生活はこの島のままでいいんじゃないのかな?
無理して何かに歩調を合わせなくていいんじゃないのかな?
ここに生まれたことに意味があるんだろうな。
そういう気持ちになりました。
とっても久しぶりに深く考えた気がします(笑)
かめおかさん、イベントを紹介してくれてありがとうございます。